2016年6月22日水曜日

占って占って、それから、深夜のラーメン 29-4days

この季節になると、
本屋さんに下半期の占い特集の雑誌が並ぶ。
私は、女性雑誌の占い特集を中心に、
ついつい買いあさってしまう。

ファッション雑誌を買う時は、
中身をかなり吟味して買うようにしているのに、
「下半期の占い大特集」
「運命の切り開き方」
なんていうフレーズに心踊らされ、
ついつい買ってしまうのである。
半年に一度、女性誌がこぞって占い特集を出すのは、
こういう購読者がたくさんいるからにちがいない。

私は、占いの言葉が好きだ。
他にはない、独特の文法があって、
優しくて落ち着いていたり、
元気で明るかったり、
占いにしかない言葉がたくさんある。
おそらく私は、
文学としての占いが好きなんだろう。

ついでに、
ファッション雑誌を買う時、
内容が良くてもその月の星座占いで、
あんまりいいことが書かれていないとかなり凹むので、
本当に、買おうか迷って迷って、
結局買わない。
その雑誌の表紙をみただけで、
バッドデイのことを思い出してしまうから。

同じような理由で、
朝の情報番組やなんかで流れる占いが嫌いだ。

何気なく見てしまって、
たまたま10位以下くらいだった時のショックから立ち上がるには、
相当のエネルギーが必要だから。

とりあえず、
午前中は、そのショックを引きずってしまう自分がいて、
さらに、そんな自分を不甲斐なく思う自分がいて、
そして、徐々に、そんな自分全体に、
ほとほと嫌気がさしてしまうのである。

まあ、たいていお昼ご飯を食べると元気になるのだが、
ここで、お昼ご飯が美味しくなかった場合が、本当の悲劇だ。

占い特集の場合も、
あんまりにも嫌な言葉ばかりだと買わない。
結局、活字の占いっていうのは、
その占い師の占いの能力によるものではなくて、
文章の機微によって、良し悪しが左右されるのである。
好き好んで、嫌な言葉を手元に置いておく人はいないだろう。
自分のそばには、
自分の心を良い方向に持って行ってくれる言葉があった方が、
誰だって気分がいいだろうし。

占いに行ってもそうなんだけれども、
結局のところ、
私は、幸せになりたいんであって、
このままじゃ(いろいろな要因があるにしろ)
幸せになれないんじゃないか、という不安を、
なんとかしてかき消したい、
という、たったそれだけのエゴなんだと思う。

「占いで決める」のはいいけれども、
「占いに決められる」のはいやなのだ。

占いに何かを決めてほしいと思ってしまうのは、
自分で決めるエネルギー不足のサインかもしれない、
とも思う。

自分の意思で何かを決められなくなったら、
人生は途端につまらなくなる。

決断・決定の理由を自分以外のどこかに見つけたくなる。
それは占いかもしれない。
それは宗教かもしれない、
それは家族、血のつながりかもしれない。

自分のせいにすることから逃げること、
それが、信仰のある一側面なのかもしれないし、
あるいは、
家族や血のつながりの呪縛かもしれない、
なんていうことを、
たまに思う。

私自身、母の思い通りになりたくなくて、
いつからか、
両親が望むものを選択しなくなっていった。
そうすることが、
自分の意思で人生を決めているという実感につながることもあった。

結局、意地を張っている部分もあるのだけれども、
誰かのために生きているという感覚がどこかにあると、
ふとした時にしんどくなりそうで怖いと感じている。

最近では、
母のいう事も少しは参照するようになったけれども、
まだ、意固地になることは多々ある。

今日も、仕事帰り、母と電話で話して、
「まっすぐ家帰って、家でご飯を食べるべき(=ちゃんと自炊しろ)」
という、
わたしの身の安全と健康と金銭の為の
優しいアドバイスを無視して、
深夜にラーメンを食べて帰宅した。
完全なる意地だ。

(結局、わたしは、母親のいうことを聞くのが嫌なんだろう。
これでは、ただの反抗期ではないか。)

スピリチュアルなこと、不思議な体験は大好きだけれども、
結局のところ、私にとって、それらは、娯楽でしかないのだよな。

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