いかんせん年齢について実感するような出来事がないのであって、
なんだか、なんにも変わっていない。
でも、たいてい年齢っていうのは徐々に徐々に効いてくるもので、
そのうち、痛てて、なんて思う日が来るはずだ。
そしてそれは、もう、
果てしなく果てしなく鈍痛であって、
にぶーく痛み続ける。
私は、いわゆるアラサーという年齢であって、
そういう女性の一括りの中にはいっている。
アラサーと一括りに言われるけれども、
本当は、その年、その年で全くもって、
心持ちが違う。
そう、私たちは、思春期くらいには、
お年頃であるのだ。
お肌の曲がり角をゆるーいカーブで曲がりながら、
先の見えない毎日を送っていくこの漠然とした不安や焦りは、
日々日々更新されていく。
いっそ、直角に曲れれば良いのだ。
曲がった瞬間に新たな景色が、一挙に広がるみたいな。
ゆるーい曲がり角を曲がりながら見る景色は緩やかにしか変わっていかないし、
先の景色が見えそうで見えない。
アラサーという言葉に、
一括りにされたくないけれども、
されないだけの何かがないし、
アラサー女性という表現に、
どこか納得しなくもない。
まだ20代だけれども、
30歳の方が、20歳より近いんであって、
アラサーと言われて当然でもある。
しかし、
30歳の女性からみたら、
29歳の女性はやっぱり全く違ってみえたりするもんかもしれない。
年齢は、単に生きた年月を表すもので、
本当は、その数字自体にはそれ以上の意味はないんだと思う。
たとえば、そこに至るまでの経験や生き方の方がずっと意味や価値があるだろう。
アラサーっていう言葉は、
もしかしたら、年齢それ自体じゃなくて、
モチベーションの問題であり、
生きてきた時代考証の結果みたいなものなのかしら、
なんて、考えてみる。
アラサーやアラフォー、
そういった言葉には、
単にその年代を指す以上の意味が、
どこか無意識に含まれていて、
結局のところ、
私はその意味に含まれたくないのかもしれない。
まあ、いまのところ、
アラサーも悪くない。