2016年7月22日金曜日

私を元気にするためのご飯 29+27days

なんだか元気が出ないな、
なんていう時、
さらには、
だいたい元気ってなんなんだ、
人は常に元気じゃなきゃならないのか、
いや、
そんなことない、
そんなことあるはずない!
そう、たまには、しゅんとしててもいいじゃない、
なんていうふうに考えている時、
だいたい、本当に元気がないわけじなくて、
単にお腹が減っていたりする。

元気っていう漢字は、
なんだか面白い。
気の元、ってことなんだなあ。

そんな元気は、
生きてれば、
確実にすり減っているわけで、
それはどうしようもない現実。

元気が湧いてくるのは、
アンパンマンが顔変えた時ぐらいだろうね。

それで、結局、
自分の元気は、自分が守ってあげなきゃ、
誰が守ってくれるの?
大人と呼ばれる年齢になって思うのは、
自分で自分を元気にしてあげなきゃならない時が、
本当に沢山あるんだよな、
なんてことだったりする。

なんだか元気が出ない時、
どんな洋服も似合わないような気がしたり、
どんな本も面白いと思えなくて積読が増えたり、
黄昏時が悲しくなったり、
メランコリックになったり、
とにかく横になることばかり考えたり、
憂鬱の渦が、
否応なしに引きずりこもうとする。

ああ、どうやって立ち上がればいいのかしら、
なんて、
出窓の窓辺で両肘ついて、
下界を見下ろして悲観するお姫様ではいられない。

だいたい
ご飯を食べれば、
少なくとも空腹からくる悲しみには耐えられる。
でも、はたと、思う。
私は、たったそれだけの元気が欲しいわけじゃない。
私は、この現実と戦う、
とまでいかなくても、
この現実を直視して生きるだけの力が欲しい。

私を元気にするご飯は、
単なるガソリン代わりのご飯じゃダメなのだ。
私を元気にするためのご飯。
有機野菜やなんやかやも美味しいけど、
やっぱり、


肉と炭水化物。

2016年7月20日水曜日

言ってもらいたい言葉 29+25days

高校生の頃、好きだった男の子、
いまでも時より連絡を取り合ったりしている。
友達、というには、なんだか微妙な距離感なのだけれども、
それでもなんとなく交流を続けている。

そんな彼に、
高校時代からずっと誕生日には、
必ずおめでとうとメッセージを送っている。
年に一度、
彼の誕生日の日には、
他愛もないメッセージを交換するのが慣例になっている。
彼にとっては、少々迷惑かもしれない。
そう思いながらも、
もうそれが10年以上続いている。

わたしの誕生日は6月で、
かれの誕生日は9月。

私が、いまでも彼に誕生日のメッセージを送るのは、
ちょっとした意地みたいなところもあって、
彼と出会ってから幾度も私の誕生日はやって来たというのに、
彼から一度も、おめでとう、というメッセージをもらったことがないのだ。
いつも、自分の誕生日を過ぎて、
ああ、今年もなんもなかったな、
なんてほんの少しセンチメンタルな気分になったり。
なんだか、ちょっと意地悪な気持ちもあったりして、
9月にはさりげなくメッセージを送っている。
子供っぽいな、なんて思ったりもするけれども。
一度くらいは、
おめでとうって言ってもらいたい。

一度くらいは、
彼から連絡がほしい。
高校生の頃、大学生の頃みたいに、
久しぶりにどうでもいいメールのやり取りを、
だらだらとしたい。

お互い、そんなことをする余裕なんて、
私にも、ましてや彼にはないのだろうけど、
たまに、そんな気持ちが去来する。

今でも好きとか、
それはなんだかちょっと違う、
こういうのもある意味未練とでもいうのだろうか、
それならそれでもいいのだけれども、
好きといってしまった過去が、
私たちの関係性を決めてしまっていて、
私たちは、
どんくらい時が経ったら、
普通の友達になれるんだろうか。
それとも、
こんなに色々考えながらやり取りしているのは、
私の方だけなんだろうか。

異性の友達って、
成立するんだろうか。

2016年7月19日火曜日

なんもかんもがつまらない 29+24days

何もかんもがつまらなく感じてしまう時が、
ひょいとやって来るときがあって、
そういうときは、どうすればいいのだろうか。
わたしの気概がぐるぐると体のなかで渦巻いていて、
もうずっと長い間、不完全燃焼が続いているような、
そんなムードが部屋中に充満していて、
湿気でじめじめしているみたいに気持ち悪い。
なにかやりたい気持ちはあるのに、
なにかてをつけてみても、なにもかもが、つまらない。
自分の心が止まってしまっているんだろうな。
そういう時は、布団のなかでじっとしてみるんだけど、
それはそれでぱっとしなかったりするもんで、
夏の夜は、
どうしてこんなにも長いんだろうか。

2016年7月15日金曜日

性格が悪い、いや、歪んでる。 29+20days

自分以外の人たちは、
きっと私より性格がいいんじゃないかと、
思っている。

私の周りにいる人たちは、
いろんな種類があるけれども、
みんなそれぞれに性格がいい。

優しかったり、
正しかったり、
面白かったり、
誠実だったり、

みんなそれぞれに性格がいい。
私は、きっと八方美人なほうで、
みんなにいい顔をしたいから、
それなりに装ってはいるけれども、
本当の本当は、
あんまり性格が良くない。

被害妄想はしょっちゅうだし、
見下したり卑下したり、
ああ、人として、そういうのどうなんだろうね。
でも、そういうのは、一切顔に出さない。
損したくないから。

損得で、物を考えるあたりが、
性格が良くない。
でも、そういうことは言ったりしない。
やっぱり、
損したくないから。

私は、そういうことに関しては、
自分の外に漏らしたくないから、
漏らし出さないために笑ってみたりする。

そんなに演技が上手いほうでもないし、
ポーカーフェイスというほどでもないけど、
人の迷惑を顧みず、
泣いたり笑ったりしたのは、
かなり昔のことで、
それは、確か、
失恋をしたときに、
大泣きして、
近所の友達の家に深夜に押しかけて、
ドン引きされたのが最後だと思う。
そして、
今も昔もそういうことをする人間にはみられない。

私って人と会話するとき、
どれくらい自分のことを話しているだろうか。
本当は、事実や伝聞をなんとなく話してるに過ぎなくて、
心の奥底の本当のことは、
あんまり話したことがない気がする。

わざとではなくて、
昔からそういう子で、
子供の頃、
本当に欲しい物を言えなくて、
不本意な誕生日やクリスマスのプレゼントを幾度ももらった。
一番不本意だったのは、
小学校4年生くらいのときにもらった、
謎の図鑑セット。
私は、もっと可愛いものが欲しかった。

最終的に、
それは自由研究の宿題に役に立ったからいいのだけど、
もらったときの負の衝撃はでかかった。

親に遠慮する子供だった。
今思うと可愛くない。
素直におねだりすればよかったのに。
子供らしく駄々をこねればよかったのだ。

そう思ってから、
心の中におねだりリストを作って置いている。
聞かれたらすぐ答えられるように、
価格帯、相手別に想定している。
例えば、
付き合ったばかりの彼氏からもらう初めての誕生日プレゼントは、
ルクルーゼの18センチのライムグリーンの鍋、
といった感じに。

心底思う、最悪だ。
言葉にしてみて、なんかもう、本当に、
性格が悪いというか、ひねくれている。

私は、いつも思っている。
せめて、もっと素直な性格になれたなら、と。
素直に喜んだり、
素直に話ができたらいいのに、と。

大学生の時、
友達の誕生日をサプライズでお祝いしたことがあった。
主役の友達が、嬉しくて泣いているのをみて、
すごく羨ましかった。
ああいう風になりたいと、
それ以来ずっと思っているけど、
一向になれない。

私が泣くのは、
映画を見たときや、
一人カラオケで中島みゆきを歌うとき、
小説なんかを読んだときくらいだ。
あと、自分のお葬式を想像したときとか。

なんか、荒んでいる。

みんな、それぞれに性格がいい。
私の性格の良さは嘘っぱちで、
それが、今日はなんだか無性に虚しい。

他人を羨ましいと思う心を、

「人は人、私は私」

なんていう甘い言葉で済ませたくない。
羨ましいと思うのは、
まぎれもなく自分なんだって、
それを認めるくらいには、いい性格でいたい。




2016年7月14日木曜日

似合わない女 29+19days

自転車で職場に向かっていた。
長くて急な坂道を下ると、
べたっとした風が吹いた。

急な坂と急な階段が、
大きな道路と道路を繋いでて、
そこに新しい家と古い家が、
ぎゅうぎゅうに建てられている。
坂の上からは、
遠くに大きなイオンとか新しい高層マンションとかが見えて、
坂の途中に綺麗な校舎の学校がある。

夕暮れ時、
子連れのお母さんやおばちゃんたちが、
そこかしこで井戸端会議をする。

私の田舎は車社会で、
多分そのせいで、
道端でおしゃべりする習慣があまり根付いてなくて、
むしろそういうのは、
ヤンキーがするものだと思っているくらいで、
なんだか見慣れない。

私はスーツを着て自転車を漕ぐ。
こんな格好で自転車に乗るなんて、
18歳までの私なら想像もできない。
風が前髪を揺らして、悪くない気分。

ここでは、自転車が便利で、
自転車があれば事足りたりする。
私の地元は車がないとどこにもいけなくて、
でも、車があればどこにでも行ける。

私は、自転車を漕ぎながら、
そして、
下り坂でゆるくブレーキを掛けながら、
つくづく思う。

私はこの町に似合っていない。

私だけが、
この地域に根ざせていなくて、
私だけが、
この地域に愛着がないような。

ここに住んでいる人は、
きっとみんな、
ここでの生活、ここでのライフスタイルが、
そこそこ気に入っているんだろうなとか、
満足しているんだろうなとか、
そんなふうに思い込んでいる私にとって、
この町での生活をあまり愛せない私は、
なんだか申し訳ない気持ちになる。

これは、野心とかの問題じゃなくて、
もっと他にいいところがあるんじゃないか、
とか、そういう自分探しに近い問題でもなくて、
じゃあ、この心許なさはなんだろうか。

地元での生活が好きだったわけではない。
それしか知らなかっただけだ。
上京して、何度か引越しもした。
どの町も、好きな部分もあったけど、
この町は、私の生活の全てではない、
といつも思っていた。

もしも、家を買うなら、
と想像するとき、
掛かるお金のことばかりを考えてしまうのだけど、
結局、誰とどんな風に暮らすのか決めないことには、
家は買えないということに気づいたりする。
1人で、一生を過ごすならば、
私はどこに行くのだろうか。
1人で生きる覚悟ができないと、
それすら決められない。

生きる場所は、
生き方が反映される。

私がこの町に似合わないのは、
この町なりの暮らしが、
私には似合っていないからなのだろう。

きっと、そう遠くはないいつか、
私はまた引越しをするだろう。
そのとき、私は、
何を基準に住む場所を決めるのだろう。
私はその場所を、
そして、そこでの生活を愛せるだろうか。




根無し草って、
いい表現だなあ、と思う。
誰かこの根無し草を捕まえてはくれないだろうか。








2016年7月5日火曜日

突然の雨 29+9days

先週末、田舎から母が上京してきて、
今朝まで一緒に過ごした。

私は、こんな一文を書くような大人になるとは思っていなかったけれども、
実際に、こんな一文がすらすらと出てくるくらいに、
東京的な生活に馴染んでいるし、
もっといえば、
「お盆にはそっちに帰るから」
という言葉も自然と言うことができるくらいの頻度でしか帰っていない。

母がくると、憂鬱が半分と楽しいが半分で、
母が泊まる夜は、ぐっすり眠れたことがない。
そして、母が帰った後、泥のように眠る。

実家に帰った時は、
自分の部屋では気持ち良く眠ることができるんだけど、
昼間はなんだか居心地が悪い。
それで、いつも街中をふらふらとして過ごすのだけれども、
小さな町なので、誰かのお母さんに見られたりなんかして、
ちょっとだけ体裁が悪いような、
なにか言い訳したいような気持ちになる。
両親と過ごすにはたまに帰った時に、
でかいイオンにでも遊びに行くくらいがちょうどいい。

いつの間にか、
地元にはかえることはないだろう、
という選択肢が自分の中で確固たるものになっていて、
ふと、そんな自分のことを思うと、
ちょっとだけ薄情者みたいに思えてしまう。

さて、そんな調子で、7月が始まってゆき、
きっと、あっという間なんだろうなあ。

2016年6月29日水曜日

実感がない、アラサー 29+4days

先日、誕生日を迎えたばかりなのだが、
いかんせん年齢について実感するような出来事がないのであって、
なんだか、なんにも変わっていない。

でも、たいてい年齢っていうのは徐々に徐々に効いてくるもので、
そのうち、痛てて、なんて思う日が来るはずだ。
そしてそれは、もう、
果てしなく果てしなく鈍痛であって、
にぶーく痛み続ける。

私は、いわゆるアラサーという年齢であって、
そういう女性の一括りの中にはいっている。
アラサーと一括りに言われるけれども、
本当は、その年、その年で全くもって、
心持ちが違う。
そう、私たちは、思春期くらいには、
お年頃であるのだ。

お肌の曲がり角をゆるーいカーブで曲がりながら、
先の見えない毎日を送っていくこの漠然とした不安や焦りは、
日々日々更新されていく。

いっそ、直角に曲れれば良いのだ。
曲がった瞬間に新たな景色が、一挙に広がるみたいな。
ゆるーい曲がり角を曲がりながら見る景色は緩やかにしか変わっていかないし、
先の景色が見えそうで見えない。

アラサーという言葉に、
一括りにされたくないけれども、
されないだけの何かがないし、
アラサー女性という表現に、
どこか納得しなくもない。
まだ20代だけれども、
30歳の方が、20歳より近いんであって、
アラサーと言われて当然でもある。

しかし、
30歳の女性からみたら、
29歳の女性はやっぱり全く違ってみえたりするもんかもしれない。

年齢は、単に生きた年月を表すもので、
本当は、その数字自体にはそれ以上の意味はないんだと思う。
たとえば、そこに至るまでの経験や生き方の方がずっと意味や価値があるだろう。

アラサーっていう言葉は、
もしかしたら、年齢それ自体じゃなくて、
モチベーションの問題であり、
生きてきた時代考証の結果みたいなものなのかしら、
なんて、考えてみる。

アラサーやアラフォー、
そういった言葉には、
単にその年代を指す以上の意味が、
どこか無意識に含まれていて、
結局のところ、
私はその意味に含まれたくないのかもしれない。

まあ、いまのところ、
アラサーも悪くない。